ところで、神功皇后を邪馬台国の卑弥呼であると最初に比定した人は、「日本書紀」を編纂した舎人親王(とねりしんのう)であった。 言うまでもなく、3世紀末に中国で書かれた「魏志倭人伝」に登場する「邪馬台国の女王」のことである。 「魏志倭人伝」は卑弥呼について次のように述べている。 「其の国、本(... 続きをみる
2020年5月のブログ記事
-
-
-
-
前々回の最後で――(第2回目・「「くにのあゆみ」と紀元節。そしてキリシタンご法度。」)――「神話で始まった日本の歴史から神々は姿を消したが、1年ぶりに「くにのあゆみ」の発行とともに、神武天皇のみは名を変えたが健在であった。もちろん、明治5年太政官布告の神武天皇であった」と書いたが、本稿はこの文章を... 続きをみる
-
-
先回の終わりの部分に書いたが、敗戦を迎えた文部省の連合軍への対応は、敗戦直後であったにもかかわらず、それこそ先手必勝の快進撃であった。連合軍の日本占領の目的の一つは日本での①軍国主義の一掃と②民主主義体制の確立=基本的人権の尊重、言論、宗教、思想の自由に対する一切の障害を除去することであった。 ... 続きをみる
-
戦争が終った時、私は小学校(国民学校)の6年生だった。ほどなくして、マッカーサーが厚木飛行場に降り立ち、ラジオからは米軍放送、WVTRが流れ出した。聞こえる言葉はすべて英語である。意味はさっぱり分からなかったが、声の調子は軽快でありリズミカルであった。初めて聞く英語と、その声の調子から、私は昨... 続きをみる