2020年5月のブログ記事

  • 神功皇后と卑弥呼 ③(最終回)

     ところで、神功皇后を邪馬台国の卑弥呼であると最初に比定した人は、「日本書紀」を編纂した舎人親王(とねりしんのう)であった。  言うまでもなく、3世紀末に中国で書かれた「魏志倭人伝」に登場する「邪馬台国の女王」のことである。  「魏志倭人伝」は卑弥呼について次のように述べている。  「其の国、本(... 続きをみる

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  • 神功皇后と卑弥呼②

     応神天皇をあやす武内宿祢 まず、神功皇后を描いた先回の絵馬であるが、今回の話は応神天皇がまだ生まれていない場面からスタートするので、絵馬から天皇の姿は消える。従って、武内宿祢(たけのうちのすくね。以下、宿祢という)は手持ち無沙汰である。代わって、そこには神武以来第14代目と言われる仲哀(ちゅうあ... 続きをみる

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  • 神功皇后と卑弥呼①

     私は今千葉県のいすみ市に住んでいるが、そのいすみ市の南西に隣接して御宿町があり、市と町の境界の御宿町側の上布施という地区に、八幡神社が建っている。 その八幡神社には、本殿の他に絵馬を展示した社殿があって、たくさんの絵馬が飾ってある。かれこれ30年前のことになるが、私はその八幡神社の前を通りかかり... 続きをみる

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  • 「神武東征」。「くにのあゆみ」ではカット。

    前々回の最後で――(第2回目・「「くにのあゆみ」と紀元節。そしてキリシタンご法度。」)――「神話で始まった日本の歴史から神々は姿を消したが、1年ぶりに「くにのあゆみ」の発行とともに、神武天皇のみは名を変えたが健在であった。もちろん、明治5年太政官布告の神武天皇であった」と書いたが、本稿はこの文章を... 続きをみる

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  • 日本紀元と迷信の間

    日本紀元と迷信の間 先回触れたが、日本は明治5年、従来の太陰暦(旧暦)を廃し、12月3日であるべき日をもって明治6年1月1日とし、ヨーロッパの国々やアメリカと共通の暦を持つことになった。すなわち、太陽暦を施行した。同時に日本は建国の日として、古い神話の中から、日本の紀元を制定した。日本には、徳川幕... 続きをみる

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  • 「くにのあゆみ」と紀元節。そしてキリシタンご法度。

     先回の終わりの部分に書いたが、敗戦を迎えた文部省の連合軍への対応は、敗戦直後であったにもかかわらず、それこそ先手必勝の快進撃であった。連合軍の日本占領の目的の一つは日本での①軍国主義の一掃と②民主主義体制の確立=基本的人権の尊重、言論、宗教、思想の自由に対する一切の障害を除去することであった。 ... 続きをみる

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  •  小学校6年間の勉強は 教科書にスミを塗って終わった

      戦争が終った時、私は小学校(国民学校)の6年生だった。ほどなくして、マッカーサーが厚木飛行場に降り立ち、ラジオからは米軍放送、WVTRが流れ出した。聞こえる言葉はすべて英語である。意味はさっぱり分からなかったが、声の調子は軽快でありリズミカルであった。初めて聞く英語と、その声の調子から、私は昨... 続きをみる

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